第二章 【14の有名なダイヤモンド】|神戸の婚約指輪・結婚指輪ならトレゾア

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第二章 【14の有名なダイヤモンド】

≪TRESOR神戸本店 H.P≫
こんにちは。[emoji:e-343]
先日、ご紹介しました。
【14の有名なダイヤモンド】の第二章をおおくりします。
今回も、鑑定機関(中央宝石研究所)の宝石の知識より14のダイヤモンドの
名前と由来をお伝え致します。
今日、ご紹介するダイヤモンドは
『パシャ・オブ・エジプト・ダイヤモンド』
40ctのインド産の八角形(オクタゴン)にブリリアント・カットされたものです。
1848年エジプトの将軍イブラヒム・パシャが2万8000ポンドで購入し、
その息子のイスマイル・パシャが1879年に免職、追放された時に、
多量の宝石とともに持ち去ったと当時の歴史家は記録しています。
その後売却され、1933年にはカルティエによってエジプトに売られ
ファルーク王の所有となりました。これをイタリアの宝石商ブルガリが買い取り
、アメリカのバーバラ・ハットン夫人に売却。しかし彼女はこの八角形が気に入らず
、カルティエに再カットを依頼しました。38.19ctで指輪にセットされ、
その後再びカットされて36.22ctとなって、現在はヨーロッパで個人所有
になっているといわれています。
『オルロフ・ ダイヤモンド』
卵を半分に切った形の199.60ctのダイヤモンドで、クレムリン宮殿のロシアの財宝
の一つとして、皇帝の王笏にセットされ展示されています。
このオルロフ・ダイヤモンドは、1774年グレゴリ・オルロフ伯爵が、
ロシアの女帝エカテリーナ2世に献上したものです。オルロフ伯はアムステルダムで
45万ドルで購入したといわれます。一方、このダイヤはフランスの宝石商タベルニエが
インドで見て以来歴史的に消失したといわれる、グレート・ムガル・ダイヤモンド
ではないかといわれています。オルロフ伯が手にしたダイヤが本物の
グレート・ムガル・ダイヤモンドであるなら、ペルシャ王シャー・ナディールによる
インド・デリーの陥落の際の戦利品の一部であり、それがアムステルダム
にもたらされたものと考えられます。
『ピゴット・ ダイヤモンド』
重さ47ctから85.80ctまでいろいろな説があるダイヤモンドです。
インドのマドラスの二代目総督であったジョージ・ピゴット男爵が所有していた為、
彼の名前がつけられました。その後何度も人手に渡り、一時はナポレオンの母の
マダム・ボナパルトが持っていたともいわれます。最後は1818年にアルバニアの
統治者アリ・パシャが15万ドルで購入しました。彼が80歳の時の1822年トルコ皇帝
が彼の都市を包囲した際、このダイヤの引き渡しを要求しました。宮廷で格闘になり、
アリ・パシャは致命傷を負いました。瀕死の床で部下の将軍にピゴット・ダイヤモンドを
手渡し、目の前で打ち砕くよう命じました。破壊されたという証拠はありませんが、
以後現在までこのダイヤモンドの痕跡は見当りません。前もってイギリスで造られた
模型が残っているだけです。
『サンシー・ダイヤモンド』
1570年頃トルコのフランス大使でサンシーの領主、ニコラ・アルレーが
コンスタンチノープルで購入したダイヤで、ファセット(面)が対称に研磨された
最初のダイヤです。彼はこれをフランスに持ち帰りました。1605年サンシーは
イギリスのジェームズ1世に売られ、その後フランスのルイ14世に売られました。
1792年の王室財宝庫からの宝飾品の盗難で他の宝石と供に盗まれましたが、
1828年フランスに返却されました。その後も色々な人手に渡り、1906年
ウィリアム・W・アスターが購入しました。しかしインド・パチアラのマハラジャが
このダイヤを持っていると主張。2つのダイヤは似ていますが、アスター氏の方が、
サンシー・ダイヤモンドの記述(55ct 全面ファセットのぺアー・シェープ)に一致しています。
現在はルーブル美術館に展示されています。
今日は、ここまで。
続きは、また明日以降アップします[emoji:e-454]
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